Formula試験運転

試験運転中です

なぜルカ・モンテゼモロはアロンソよりベッテルを好んだのか

お久しぶりでございます。ご無沙汰しておりました。今後も突然更新するかもしれないので、その折にはまたよろしくお願いします。

さて、海外記事をほんのり訳していく本ブログの今回のエントリは、アロンソフェラーリ離脱騒動に関するもの。最近マクラーレン・ホンダがいまいち奮わず、アロンソはもうチャンピオンになれないのではないか、キャリアを浪費しているとか、フェラーリに残ってたほうが良かったのではないか、などなどアロンソの現状に関してはさまざまな意見が交わされてますよね。自分もアロンソは歴代でも指折りのドライバーだと思ってるので、早く勝てるクルマに乗って活躍するところをみたいところなのですが、ここで、アロンソの現状を語るのなら、彼がなぜいまこのようになっているのかという過去の経緯について、別口の見方を知っておくのも面白かろうとの趣旨でございます。

書き手はあのマーク・ヒューズ氏。個人的には好きな人です。一応自分個人の立場も表明しておきますと、自分としては彼の意見はある程度正しいものだと思っております。特に、フェラーリ離脱という選択は必ずしもアロンソが望んだベストではなかった部分があるかもしれない、という点においては。すなわち、彼自身で離脱を画策していた側面もあったのだろうけど、しかし他方で、ある種フェラーリから煮え湯を飲まされたという部分もかなりあるのではないか*1、ということです。もちろん異論は認めるわけですが、ほかに読まれた方はどんな感想をお持ちになるでしょう、気になるところです。

ソースはここで、一応今年の2月のもので最新の記事というわけではありませんので、特に情報が古くなってるということはないと思いますが、念のためご注意を。あとはまあ、訳の正確さは微妙、誤訳指摘など賜れれば最高、と、いつものとおりでございます。

それと最後に。以前も言及したことがあるのですが、これはAlonso leaves Ferrariのある種続編的なポジションの記事で、こちらはF1通信様がすでに訳されております*2。本拙訳は、ぜひぜひF1通信様のものと合わせてお読みください。



なぜルカ・モンテゼモロはアロンソよりベッテルを好んだのか


先週、私はローマにいた。『モータースポーツ』4月号掲載予定のルカ・モンテゼモロ独占インタビューのためだ。所定の90分のインタビューの間に、我々は、彼のフェラーリのトップ時代、そしてその前、70年代のチームマネージャー時代に関する多くの主題をカバーした。しかし、私が彼の見解を得たいとかねてより思っていたポイントは、フェルナンド・アロンソからセバスチャン・ベッテルへの交代となった一連の出来事である。近年のドライバーマーケットでもっとも議論を呼んだものの一つだ。モンテゼモロが離脱した数週間後に起こったことであるのが思い出されるかもしれない。しかし、これは、水面下にて既に定まっていたいくつものピースの、単なるひとつの表れに過ぎない。誰が誰と別れたのか、そしてそれはなぜなのか。論争は沸騰し続けている。


フェラーリの苦境を理解することは、その問いへの答えを理解するためには不可欠である。それはきわめて複雑で微妙だ。モンテゼモロ側からの説明によって、重要な背景状況が浮き彫りになる。


インタビューの前日に現地入りし、ルカの個人秘書の提案するホテルにチェックインした。インタビューを行う予定の場所からほんの数分である。最初、私は、地理的にどこなのかよく分からなかった。というのも、そこは、街そのものの中にあるのではなく、ローマ北部のとても小さな郊外にあったからだ。グーグルマップを見てみると、私はパリオリと呼ばれる場所にいることが分かった。その名は頭の中のどこかでベルを鳴らした。レースと関係したなにかだ。さらにグーグルで検索した。――ああ、そうだ!パリオリは、1925-1927年にわたって、はじめは街の向こう側のヒルで、後には街内部のストリートで、ローマグランプリを開催した都市だった。ここでの最後のレースで、(オートバイとは対照的に)タツィオ・ヌヴォラーリが主要なレースで初勝利を挙げたのだ。彼個人として参戦したブガッティタイプ35で優勝し、それによって、このスポーツにおける最高の伝説のひとつの始まりとなったのだった。


ヌヴォラーリの伝説の一部は、スクーデリア・フェラーリとの嵐のような関係とともにあった。1993年に彼らが初めて袂を分かつことになった時、争いの種は、ヌヴォラーリがチーム運営に関して求めていた支配力についてだった。チーム名をスクーデリア・ヌヴォラーリ・フェラーリに改名することを含め、彼はエンツォ・フェラーリがとうてい受け入れられないような変革をするよう示唆した。そこには、70年後のアロンソとこのチームとの関係に類するものがあった。ある時点において経験した競争力の面での限界に対するフラストレーションは、フェルナンドに技術陣の採用に関する拒否権を欲しがらせた。この点は、2014年にフェラーリ内部のある情報源に確認している。しかし、おそらくは、この状況においてより重要であることは、ドライバーのフラストレーションがチームの雰囲気に影響を及ぼしていたことである。しかも、そこに関しては、彼がどれほどハードワークしていたのかとは考慮されない。


「フェルナンドは、フェラーリでは決して勝てないと思い込んでしまったんじゃないかと私は思っていた。」モンテゼモロは言った。「そして、自分がメルセデスにいたら、片手でも勝てる、という思いにとらわれていたんじゃないか。これは、だれにとってもモチベーションにとても悪く働いていた。次の点ははっきりさせてほしい。すなわち、私は、アロンソがおそらくは今なお世界最高のドライバーだと信じてるということだ。日曜日においては、間違いなく世界最高だと思う。予選ではそうではないかもしれない。ハミルトンとベッテルの方が1ラップに関しては速いかもしれない。しかし、レースでのフェルナンドはアンビリーバブルだ。彼は精密機械だ。しかし、我々はモチベーションを必要としていたし、それが、未来のために必要とするものはなにかということを私に考えさせたのだ。私は思い出したよ。2009年のフェリペの負傷後、ミハエル(シューマッハ)にフェラーリに戻って来るよう説得を試みていたとき、彼は言っていたのだ。『未来のためにフェラーリが必要とする男はベッテルだ』と。」


フェラーリベッテルとの予備的な非公式の契約は、モンテゼモロというよりは、ピエロ・フェラーリ*3ステファノ・ドメニカリによる数年来のものだった。さて、2013年末、ルカは独自にベッテルと会おうしていた。アロンソフェラーリとの契約は2016年末まで有効であり、ベッテルレッドブルとのそれは、表向きは15年末までであったにもかかわらずだ。「ドメニカリは彼を私の家に連れてきた。そしてプレゼントとして、スイスのチョコレートを持ってきたのだった。彼はとても賢く、ポジティブな男だ。私は彼こそが、チームとしてわれわれが欲していたものを持っている男だと確信しだのだ。彼は語った。フェラーリは自分の夢だ、でも自分には契約があり、しかし選択肢もある。だから私も言った。もしわれわれにそれが出来るのならば聞こう、やってみよう、と。」


それが、なぜあんなことが起きてしまったのか、ということの大まかな背景だった。それがどのように実行に移されたのかの詳細に関しては、もしシーズンのある時点においてチャンピオンシップである順位以下*4ならば、一年前倒しで契約解除することができる、というベッテルレッドブルの契約に存在したトリガーがすべてだ。そして、それが、進行中だったアロンソフェラーリの間での議論に大きな衝撃を与えた。アロンソと、マネージャーのフラビオ・ブリアトーレはなにも知らされぬままであり、それは不公平な交渉だった。交渉の一方のサイドだけが関連する事実すべてを知悉していた。フェラーリだけが、ベッテルが実は獲得可能であることを知っていた。しかし、それにもかかわらず、フェラーリはなお込み入った事情にあった。ベッテルが獲得可能になるかどうかは、シーズン終盤まで分からず、それゆえに、フェラーリが2015年も同僚としてアロンソが必要になりそうかも分からなかったからだ。後知恵で言えば、明らかにこの点が、議論があれほど長く続いた理由だ。フェラーリがぎりぎりまで引き伸ばしていたのだ。


アロンソの側からしてみれば、自分は、自分の願望についてフェラーリとかなりオープンな立場にいると感じていた。2014年中盤、彼は割り当てられた契約よりも早く離脱できるか模索していた。フェラーリとの別離に先立って、ある状況下では早期の離脱を許可するとの合意をモンテゼモロはアロンソと結んでいた。フェルナンドはおそらくは、ルカからのちょっとした餞別だと受け取った★*5。裏側では、それが、フェルナンドは自身の選択で離脱し、ベッテルが交代で加入する、というフェラーリの理想的なシナリオを可能にしたのだが。しかし、アロンソはいまだにベッテルについては知らなかった。それが、モンテゼモロが辞任したときの状況だった。だから、その時点では、アロンソは離脱したかったし、フェラーリはまだ彼に離脱してほしいのかわかっていなかった。しかし、フェラーリがそれを伝えることはありえなかった。


ある時点で、2015年にメルセデスに移籍する見込みがないことが明らかになった。しかし、2015年以降はまだわからなかった(ハミルトンはまだ契約更新していなかった)。マクラーレンのオファーも検討中だったが、複数年契約だった。ロン・デニスはその点では折れるつもりはなかった。だから、15年はフェラーリにとどまることが最善のように思われた。この時点でのアロンソの理想のシナリオは15年はフェラーリ残留し、それから1年早く契約解除となることだった。彼がここに向けて突き進む一方で、フェラーリ(マルコ・マティアッチだ)は抵抗した。(それは、明らかに、もしベッテルの獲得権が有効になったら、2つのシートに対し3人のドライバーがサインされてることになってしまうからだ。)実際、マティアッチは、アロンソは契約を16年以降まで延長するよう示唆していた。(察するに、契約を長引かせるための虚勢だろう。)


ベッテルの獲得権が有効になったとき、締め切りの日付の前(日本GPの前後だろう)に、彼はレッドブルに伝えなければならなかった。さもなければ、機会は失われてしまうからだ。彼はそのように事を行い、レッドブルは、ベッテルの離脱を即座に公にすることを選んだ。そのときアロンソはやっと真実を知ったのだ。


それでは、いったい誰が誰のもとを離脱したのだろう。事態は入り組んでいる。基本的には、彼らはともに別れていったのだ。





allot 【他動】〔物事を〕分配する、割り振る
take on 【名】 ~についての見解
development 【名】 〔状況を進展させる〕出来事、変化
predicament 【名】 苦境
backdrop 【名】 背景
tempestuous 【形】 〈文〉大嵐の
bone of contention 《a ~》争いのもと
veto 【他動】 拒否権
ostensibly 【副】 うわべは、表向きは
broad-brush 【形】 〔計画などが詳細ではなく〕大まかな
on board 〔船・飛行機などに〕乗って 〔人と共に〕仕事をして、働いて
hindsight 【名】 あとになっての判断
presumably 【副】 推定上、推定されるように
bluff 断崖 こけおどし、虚勢
cut-off 切断,遮断. b(会計の)締め切り日,決算日.

*1:となると、アロンソについてはなんというか不憫な感じがするんですよね。実力がすべてのはずの世界で、当代最高のドライバーとの呼び声さえあるのに、腕とは関係ない点で不遇を強いられる…。性格についてはよく言われますし、ここでもいろいろ書かれてるのですが、だがしかし、それってここまで大きくキャリアを左右するものであっていいのだろうか。性格に難ありだったら、腕がいくらあってもダメなのだろうか?確かにF1はチームスポーツなのだろうけども…。とにかく、マクラーレン、ホンダともに一層奮起してもらいたいですね。

*2:h ttp://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51960413.html:title

*3:訳注:エンツォの息子でフェラーリの副会長。モンテゼモロとはかねてより確執が伝えられていた、とのこと。wikiより笑

*4:訳注:当時、9月末時点で3位より未満なら離脱できる、という条項があると言われてましたね。ttps://twitter.com/tgruener/status/518230563899977728

*5: a little leaving present from Luca