Telegraph:F1を辞める意向のジェンソン・バトン
最後はテレグラフによるバトン引退報道。っていうか、なんですかこれ、完全に追悼文みたいになってるやん…。昨日訳したSKYの記事は、ジェンソンのほっこりする受け答えとかあってなんか和んでしまったけど、これはキツイ。。しかもバトンびいきな感じの書き方になってるところがまたダメージでかい。。
いや、まあ言いたいのは、テレグラフのこの記事は、なんというかちょっとエモーショナルな感じで、読んでるといろいろくるものがありますなあ、ということです。
F1を辞める意向のジェンソン・バトン
ジェンソン・バトンは、その16年の輝かしいF1でのキャリアに終わりを告げようとしている。公式な告知は、おそらく、今週末の日本GPの前だろう。
バトンはマクラーレンと来年のについて交渉してきた。しかし、テレグラフスポーツは、彼は競争力のない車での1年を過ごして、このチームから身を引くことに決めたと理解している。
この35歳は、ルマンスタイルのWECでのスポーツカーのドライブと、メディアでのキャリアを兼務すると予想されており、そのメディアの仕事には、新生トップギアも含まれるとの噂である。
バトンを失ったF1は、まったく栄えのないスポーツになってしまうだろう。彼は、ワールドチャンピオンシップを一度制し、15の勝利と50回のポディウムを記録した。278戦のグランプリスタートは、史上3番目の出走記録である。
この男のキャリアは、サマセットのフロームでのカートに始まった。亡くなった父親とは常に二人三脚の歩みだった。その男が今週末声明を出すかもしれない。彼の妻、ジェシカは日本人であり、バトンはこの国でも熱心なファンを持つ。この国を第二のホームレースともしているので、翌月のロシアのみすぼらしいパドックよりはそこでニュースを明らかにすることを選んだのだろう。そもそも、10月には、マクラーレンのバトンへのオプションの期限も切れてしまうようでもある。
2009年のワールドチャンピオンは、マクラーレンのウォーキングの拠点で、メカニックやスタッフたちと働くのを楽しんでいるが、チーム代表のロン・デニスとの関係は、うまくいかなかった。デニスは、昨年のイギリスGP前夜には公然と「もっと努力しろ」と言い、その12月にはこの英国人をチームから外そうとした。ただ、その試みはマクラーレンの取締役会によって却下されて潰えたのだが。
バトンの離脱は、このチームがいかに落ちぶれたのかも物語るものでもある。彼が2000年にウィリアムズでこのスポーツに加わったとき、マクラーレンは、ミカ・ハッキネンのドライバーズチャンピオンのタイトルを保持していたチームだった。それがいまや不振で沈んでいる。
昨年末、彼は、新契約がオファーされる最後の瞬間まで待たされ、さらにエンジンサプライヤーとしてのホンダとともに世界タイトルに再度挑戦するとも語った。
しかし、今シーズンは、災厄以外のなにものでもなかった。ホンダは信頼性がなく、またパワーでも劣っており、バトンはモナコとハンガリーのたった二回しかポイントを取れなかった。彼の元チームイメイトのルイス・ハミルトンは、2012年末にマクラーレンを去り、以来19勝をあげている。他方で、バトンとマクラーレンは、その間一度たりとも勝利していない。バトンの6ポイントに対し、ハミルトンは、今シーズン252ポイントだ。
バトンは、気づかぬうちに、だんだんと世界中を旅することに疲れてしまったのだ。最近では、マクラーレンホンダがいつ競争力を発揮するかは分からない、と述べたようである。
さらに、日曜のシンガポールGPは、バトンにとって再び苦しいレースとなった。彼は、40秒間のピットストップを耐え忍び、のちにギアボックスの故障でリタイアした。
フェルナンド・アロンソの僚友となるバトンのシートは、マクラーレンの二人の若手、ケビン・マグヌッセンかストッフェル・ヴァンドーンのどちらかのものとなるだろう。マグヌッセンは、昨シーズンマクラーレンをドライブし、今年は、リザーブドライバーとして過ごし失意を募らせている。
22歳のデンマーク人は、アメリカの新チームのハースと交渉していたが、フランス人ドライバーのロメイン・グロージャンに敗北したと考えられている。ヴァンドーンは、ベルギー出身の23歳だが、F1の中心的な育成シリーズであるGP2を支配している。
バトンのキャリアは、2000年のウィリアムズで始まった。それは、バルセロナでのトライアウトテストに勝利して獲得したシートだ。彼は、有名チームでデビューシーズンをうまく戦い、ベネトンに移籍して2シーズンを過ごした。
彼の躍進の年は、2004年だった。ドライバーズチャンピオンシップでフェラーリの二人に続く3位となったのだ。しかし、記念すべき初勝利にはさらに2年間待たなければならなかった。初勝利をあげたのは、113戦目、ハンガリーだった。14位からスタートし、ウエット局面のフィールド上を駆け上がってのものだった。
バトンのキャリアは、ホンダが2008年末にF1から撤退した際に瀬戸際に立たされた。しかし、ロス・ブラウンがチームを買い取り、思いもよらないことに、チャンピオンシップまでもついて来た。
ディフェンディングチャンピオンとして、バトンは、ハミルトンを相手にマクラーレンで自分を試すことを望んだ。実際彼は、このチームメイトを2010年から2012年までの3シーズン合計のスコアで上回っている。しかし、以降の3年間は、マクラーレンはペースがなく、苦しいものだった。
これほどの傑出したキャリアが、先頭でレースすることなく終わってしまうのは、非常に恥ずべきことである。バトンは、そこにこそいるべきドライバーなのだから。
ジェンソン・バトンのF1キャリア*1
・2000年――ルーキーとしてウィリアムズに加入
ブルーノ・ジュンケイラとのバルセロナでのトライアウトテストに勝ち、2000年のウィリアムズのシートを手にした。オーストラリアでのデビュー戦でポイント獲得は間違いなかったが、残り11ラップというところでエンジンブローを喫した。
・2001年――ベネトンへ移籍
ベネトンに移籍して2001年、2002年を過ごす。この2年は、彼のキャリア最低のシーズンだった。チーム代表であるフラビオ・ブリアトーレは、彼は「怠け者の遊び人」と呼んだ。バトンは、後に、名誉と富で頭がいっぱいだったと認めている。
・2003年――BARへ移籍
バトンは、ルノーでのシートを失い、2003年にBARに移籍した。彼はワールドチャンピオンのジャック・ヴィルヌーブを上回り、翌年にはマレーシアで初めてポディウムに乗った。
・2004年――タイトルレースに名乗りを上げる
初ポールポジションは2004年のイモラだった。彼は、このシーズンをチャンピオンシップ3位で終える。圧倒的だったフェラーリを除けば最高位だった。
・2006年――初勝利
この英国人は、2006年ハンガリーでの初勝利まで113戦を待たなければならなかった。14番グリッドからの、印象的なウエットのドライビングだった。
・2008年――ホンダの苦境
競争力のない2年間ののち、ホンダはレースをしていく上での金銭的体力の問題に苦しみ★*2、2008年末にF1から撤退した。バトンのキャリアは窮地に立たされることとなる。
・2009年――ブラウンで世界チャンピオン
ロス・ブラウンがチームを買い、エンジンはメルセデスを積むこととした。ブラウンとバトンは2009年序盤を席巻した。シーズン最初の7戦で6勝をあげて、ワールドチャンピオンシップでの記念すべき勝利を決めた。
・2010年――マクラーレンに移籍
バトンは2010年にマクラーレンに移籍して、オールブリティッシュのペアをハミルトンと組むことにしたことで、再びF1を驚かせた。彼はマクラーレンでの2戦目のオーストラリアで勝利した。変わりやすいコンディションをものにする、バトン特有のドライブだった。
2011年――ハミルトンを圧倒する
2010年のほとんどは、彼はタイトルの有力な候補にはなれなかった。しかし、2011年では、ハミルトンが苦しむ一方で、真価を発揮した。日本での勝利は、彼のベストのもので、チャンピオンシップ2位への推進力となった。
2012年――紆余曲折のシーズン*3
2012年は、オーストラリアの勝利に始まり、ブラジルの勝利に終わったが、雑多なシーズンだった。彼のマクラーレンでのただ一つのポールはベルギーだった。3シーズン合計でハミルトンを上回ったのは、彼の大きな名誉となった。
2014年――首切りを免れる
冴えない2013年シーズンをすごした後も、彼の運は上向くことはなかった。チームメイトのケビン・マグヌッセンをやすやすと上回った事実があったにもかかわらず、2014年末のあの執行猶予は衝撃だった。
2015年――タイムアップ
2015年のホンダ復帰は紛れもない災厄だった。チームは遅く信頼性もない。バトンがシーズン末で辞める決断をする一つの契機となった。
☆個人的単語リスト
poised to
《be ~》~する用意[態勢]ができている、~する態勢にある、~する構えだ
glitter
〔物が光を反射して〕ピカピカ[キラキラ]光る[輝く]
bow out
〔おじぎをして部屋から〕出て行く、退出する;身を引く、辞任{じにん}する
revamp
〈話〉改革する、改良する、
following
〈集合的に〉、追随者、支持者、ファン
record
録音{ろくおん}する、録画{ろくが}する
overhaul
〔修理・改良などのために〕~を徹底的に点検する整備する
sour
〔物が〕酸っぱくなる、〔関係などが〕まずくなる
overrule
〔異議などを〕却下する
board
理事会、取締役会、役員会
doldrums
憂鬱、不振、低迷
unmitigated
和らげられない、緩和されていない
increasingly
ますます、だんだんと
weary
〔重労働などで肉体的に〕疲れた、〔精神的に〕疲れた
set to
《be ~》~することになって[決まって]いる
went to his head
酔わせる、慢心させる
came into his own
本領を発揮する
bookend
~を〔ブックエンドのように両脇から〕はさむ
to his credit
~の名誉となって
reprieve
~の刑執行を延期[猶予]する◆特に死刑囚の